旅サロン・デジカメ同好会合同 第6回さるく会
10月16日(月)、「第6回さるく会」が開催されました。
今回の「さるく会」は浦上街道を歩くと題して、「長崎さるく博」の「学さるく」の ガイドを務めておられる 森 草一郎様(旅サロン会員)に今回も案内して頂きました。
今回も快晴の青空のもと、朝9時50分までには参加者17名全員が長崎駅前かもめ広場に 集合し、定刻の10時にスタートしました。
NHK脇の浦上街道の出発点の休み石からスタートし、西坂公園の船越保武作の26聖人記念碑 ならびに今井兼次設計の日本26聖人殉教記念館及びガウディを模した26聖人記念教会を外から見学しました。
岡まさはる記念長崎平和資料館(月曜休館)及び二宮金次郎の彫像のある西坂小学校前 をとおり生目八幡宮に登りました。
続いて天神町の斜面移送システム(天神町のほか稲佐公園、グラバー園、立山、水の浦にある)を設計者の一ノ瀬さんの解説付きで見学しました。
その後、門柱に石灯籠のある山佐邸、不動明王像を経由して坂本町の国際墓地(坂本町の他に大浦、稲佐にある) に到着しました。
ここには外人の他、永井博士、グラバー父子等の墓もあります。
さらに山王神社に行きました。原爆から生き延びた樹齢6〜700年の楠が台風13号により傷んでいましたが、 片足鳥居は悠然と残っていました。
最後に長崎大学医学部に行き、原爆の爆風で傾いた門柱及び医学部で唯一の原爆遺構のゲストハウスならびに 日本医学の父と言われているポンペの顕彰碑を見学してさるく会を終了しました。
その後平野町の「遊食庵」で楽しく昼食を食べ、解散しました。
5月から6回続いた「さるく会」はこれでひとまず休会とすることになり、来年1月から今度は一月置きに再開することになりました。 皆さん、お疲れさまでした。
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休み石
急な石段の途中に腰を下ろして一休みするのにちょうどよい大きさの「休み石」が並んで二つ。
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浦上街道起点の碑
長崎街道のバイパス浦上街道の出発点。長崎と時津間12キロの道程、時津街道とも言う。 |
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西坂公園・二十六聖人記念碑
慶長元年殉教(外国人6人 日本人20人)。船越保武作のブロンズ像。 |
西坂公園・二十六聖人記念碑
ブロンズ像の裏側には、26個のブドウを埋め込んだ壁面があった。 |
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岡まさはる記念長崎平和資料館
ルーテル教会牧師岡正治さんの平和運動に捧げた生涯の遺品などが展示されている。休館日で中には入れなかった。 |
西坂小学校
二宮金次郎の彫像が有る。授業中のため中に入るのは断念。 |
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生目八幡宮(いきめはちまんぐう)
目の神様。お賽銭のお釣りを要求した人もいた。 |
斜行ケーブル
急斜面をお年寄りが歩くのを楽にしたケーブル。第1回のさるく会ではこの斜行ケーブルに試乗した人もいた。 |
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山佐邸門柱
門柱に石灯篭が乗っている珍しい門柱。 |
不動明王
街道沿いには、このような仏像が沢山ある。 |
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坂本国際墓地
長崎に三ヵ所ある国際墓地の一つ。 |
坂本国際墓地
墓地内にはグラバー父子、永井博士などの墓がある。 |
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山王神社
1648年に創建された円福寺が前身、維新後山王神社となる。原爆の廃墟の中から活きかえった二本の楠が栄えている。 |
片足鳥居
1924年建立の二の鳥居で、原爆で被災。
一の鳥居は残っていない。
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神戸市のマンホール
このマンホールに合うサイズの蓋が神戸市にしかなかったため、このようなことになったらしい。 |
哲翁内科のレリーフ
インド神話における巨鳥「迦楼羅(かるら)」。仏教に入って天竜八部衆の一つとして仏法の守護神とされる。
ビルの天辺にあるので、なかなか気がつかない。 |
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医学部裏門
原爆の爆風で大きく傾いた門柱が爆風の凄さを物語っている。原爆遺構の一つ。 |
ポンペ顕彰碑
オランダの軍医で1857年海軍伝習所の医師として来日。長崎の小島養生所などで西洋医学を教える。病院の必要性を説き1861年養生所医学校が開設。日本での医学教育の父と言われている。 |
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昼食会
いつものように和やかに昼食会。初参加の3人の仲間と過去6回のさるく会の皆勤の仲間1人が紹介された。 |
昼食会
ア〜美味しかった!
お疲れさま!
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